世界最大のガラスメーカーを祖業とし、化学品、電子事業へと多角的に進化を遂げた巨大素材メーカー、AGC株式会社。この老舗企業に新風を吹き込み、組織文化の変革とV字回復を牽引したリーダーこそが、島村琢哉氏です。
彼は、2015年の社長就任時に掲げた「両利きの経営」を実践し、既存事業の深化と新規事業の探索を両立させることで、停滞していた企業体質を見事に刷新しました。現在、AGC株式会社の取締役兼会長を務める島村氏の、輝かしい経歴、そして素材ビジネスの未来を見据えたその深遠な経営哲学に迫ります。
島村琢哉(AGC取締役会長)のプロフィールと最新の役職
まずは、島村琢哉氏のプロフィールを見てみましょう。
島村琢哉-AGC株式会社公式サイトより| 名前 | 島村 琢哉(しまむら たくや) |
|---|---|
| 生年月日 | 1956年12月25日 |
| 出身 | 岡山県 |
| 学歴 | 慶應義塾大学経済学部 |
| 職業 | AGC(旧・旭硝子)株式会社取締役兼会長 |
島村琢哉氏は、1956年に岡山県で生まれ、神奈川県鎌倉市で育ちました。1980年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年、旭硝子株式会社(現・AGC株式会社)に入社。キャリアの第一歩は千葉工場の事務部製品課でしたが、その後30年以上にわたり、主に化学品部門の営業職として専門性を磨きました。
彼のグローバルキャリアの転機となったのは、2003年2月から2006年4月にかけて務めた、インドネシアの子会社であるアサヒマスケミカル株式会社の社長経験です。帰国後、2006年に化学品カンパニー企画・管理室長に就任。
翌2007年には、世界的な経営者の登竜門であるハーバード・ビジネス・スクールのAMP(Advanced Management Program)を修了し、経営者としての視野を大きく広げました。
執行役員を経て、2010年1月には化学品カンパニーのプレジデント、そして2013年1月には電子カンパニーの常務執行役員兼プレジデントに就任し、電子部材事業本部長を兼任。化学品からハイテク分野の電子部材まで、幅広い事業領域で要職を歴任しました。
転機となった社長就任と「AGC」への社名変更
長らく化学品部門を歩んできた島村氏ですが、社長就任前の2年間は電子カンパニーの責任者を務め、多岐にわたる事業分野での知見を深めていました。そして、2015年1月に代表取締役兼社長執行役員CEOに就任します。
社長在任中、彼の最大の決断の一つとして知られるのが、2018年に行った「旭硝子株式会社」から「AGC株式会社」への社名変更です。この変更には、単なる名称の更新に留まらない、島村氏の深い経営戦略とビジョンが込められていました。
グローバル経営の一体化とブランド統一
社名変更の最大の目的は、グローバル経営の一体感を完成させることでした。ロゴの変更は30年以上前から進められており、2007年には国内外の全ての子会社が既に「AGC」を冠する社名に統一されていました。
しかし、親会社のみが「旭硝子」のまま残っていたため、グループ全体が31の国と地域で展開する中、親会社の社名も「AGC」ブランドに統一することで、真のグループ一体感を醸成し、経営効率と海外で働く従業員のモチベーション向上を図りました。
「特殊な素材メーカー」としての再定義
もう一つの重要な狙いは、企業イメージの再定義でした。社名に「硝子」が残ることで、一般的に「ガラスだけの会社」という固定的なイメージを持たれがちでした。しかし、実際のAGCグループは、主力であるガラスに加え、電子、化学、セラミックスなど多岐にわたる特殊な素材やソリューションを扱っています。
島村氏は、この実態に合わせて「ガラス会社」ではなく「特殊な素材メーカー」としてのアイデンティティを強く打ち出す必要性を感じていました。
彼は「AGC」の3文字に、「アドバンスト・ガラス・ケミカル&セラミックス」という意味合いもあると捉え、新たな時代変化の中で産業界のトップランナーに対し、イノベーションを実現するための素材やソリューションを引き続き提供していくという使命を再確認しました。
認知度向上と社員の意識改革を促したCM戦略
社名変更の周知には、人気俳優を起用した大規模なCM戦略も展開されました。これは、特に若年層におけるAGCの認知度を向上させ、採用活動にも好影響をもたらすことが狙いでした。
その結果、顧客や一般層への認知度が高まったことはもちろん、社名が広く知られたことで、従業員のモチベーションと自社への誇りが向上するという、極めて大きな社内効果も生み出しました。
V字回復を牽引した「両利きの経営」の実践
島村氏の社長在任期間(2015年〜2020年)において、最も注目されたのは、企業を構造的に変革させた「両利きの経営」の実践です。
就任時の厳しい状況と「お化け商品」からの脱却
島村氏が社長に就任する直前の2011年から2014年までの4年間、AGCは収益が連続して下降するという厳しい局面に直面し、かつての「お化け商品」であった液晶ディスプレイ用ガラス事業への依存からの脱却が急務でした。
この状況を打開するため、島村氏が描いた基本シナリオは、既存事業と成長分野の明確な役割分担でした。建築用・自動車用ガラスや化学品といった既存のコア事業をしっかりと「筋肉質」にして安定的なキャッシュを生み出し、その生み出されたキャッシュを成長分野である戦略事業に集中的に投下する、というものです。
3つの戦略領域と定量目標
島村氏は、IoTの進展、5Gへの通信インフラ変化、世界的な人口・環境問題といった世の中の大きな変化を捉え、AGCが持つシーズ(技術の種)を最大限に活かせる成長分野として、「モビリティ」「エレクトロニクス」「ライフサイエンス」の3つに戦略領域を大胆に絞り込みました。
この戦略事業への注力により、2025年にはグループ全体の営業利益貢献比率で約40%(900億円)、売上高で約3,600億円を達成するという具体的な目標を設定しました。これは、AGCが「ガラス会社」から高付加価値な特殊素材ソリューションメーカーへと完全にシフトする意思を示すものでした。
各戦略分野における具体的施策と技術優位性
AGCは、自社の持つ素材技術と外部の知見を組み合わせるオープン・イノベーションやM&Aを戦略的に活用し、各分野で最先端のソリューション開発を進めています。
モビリティ分野:5Gインフラへの貢献
モビリティ分野では、「コネクテッド」をキーワードに、自動車の自動運転や交通インフラの変革に対応。
AGCは、長年の自動車ガラス製造で培ったアンテナ設計技術と、高周波の電波を減衰させにくい優れたフッ素樹脂技術を組み合わせ、極めて伝送損失の低いアンテナ設計を実現しています。
特に、5Gの社会インフラ整備という社会的課題に対し、NTTドコモ、エリクソン・ジャパンとの車載用5Gアンテナの共同開発に成功するなど、素材メーカーの枠を超えた取り組みを展開し、大きな社会的変化をもたらすことを目指しています。
エレクトロニクス分野:最先端半導体のキー技術
エレクトロニクス分野では、半導体回路の極細化(10nm、7nm、5nm)に対応するため、次世代リソグラフィ技術であるEUV露光技術に不可欠な素材を提供しています。AGCは2003年からEUV露光で用いられるEUVマスクブランクスの研究開発に着手。
独自のガラス材料技術、加工技術、コーティング技術を統合することで、現在では世界で有数のEUVマスクブランクスメーカーとなっており、最先端の半導体デバイス形成を素材面から支えています。
ライフサイエンス分野:M&Aによる時間軸の獲得
ライフサイエンス分野では、個々人に合わせたテーラーメイドの薬の必要性が高まる中、将来の主役と目されるバイオ医薬品CDMO(製造開発受託)事業に注力。
日本が世界に後れを取るこの分野で時間を埋めるため、2017年2月にはバイオ医薬品CDMOの高付加価値サービスを提供するCMC Biologics社を買収しました。これは、島村氏が掲げる「世の中のスピーディーな変化に対応するためのM&A戦略」の具体例であり、「時間をお金で買う」という発想に基づいています。
また、バイオ医薬に加え、フッ素の技術を活かした合成医薬事業も強化。フッ素の特性により、薬効の持続性や常温保管を可能にするなど、独自の強みを発揮しています。
「人財で勝つ」を掲げた組織カルチャー変革
この経営戦略を支えたのは、島村氏が特に力を入れた人財(人材)育成と組織文化の変革です。閉塞感を打ち破り、若手のチャレンジを促すため、同社では米ウォルト・ディズニー・カンパニーのアイデア創出法を参考にアレンジした手法を導入するなど、社内変革に着手しました。
「人財で勝つ」という信念のもと、社員が生き生きと働き、新しい価値を生み出すための土壌を作り上げたことが、老舗企業の硬直を打破する鍵となりました。
さらに、中央研究所を移設・刷新し、社内外の人々との「協創(協同で作り上げること)」をコンセプトとした「協創空間」を創出する計画も推進。自分たちの技術だけでは限界があるという認識のもと、外部の知見や情報を取り込み、新しい用途開発(アプリケーション・マーケティング)の可能性を広げていくための環境整備にも注力しています。
退任後の活動と広がる影響力
2021年1月、島村氏は社長職を退き、AGC株式会社 取締役兼会長に就任しました。これは、彼が心の中で決めていた「社長は2期6年」という区切りに基づいたもので、トップとしての明確な引き際を示しました。
現在も、AGCの経営全体を俯瞰しつつ、公益財団法人旭硝子財団の理事長を務めるなど、社会貢献活動にも注力しています。
さらに、2022年以降は、株式会社荏原製作所の独立社外取締役やJFEホールディングス株式会社の社外取締役(元・社外監査役)など、他の日本を代表する大企業のガバナンス強化にも貢献しており、その多角的な知見と経験を日本経済全体に還元しています。
島村琢哉の経営哲学と人柄:ブレない「軸」と人間中心主義
AGC株式会社という巨大な老舗企業を率いた島村琢哉氏の経営の根幹には、数字の追求よりも人間と企業文化を重視するという明確な哲学が存在します。この哲学は、企業を再建し、V字回復を実現した「両利きの経営」を支えるブレない軸として機能してきました。
人を動かすのは信頼:徹底した現場主義
島村氏のリーダーシップに対する信念は、「人を信ずる心が人を動かす」という言葉に集約されています。彼は以前のインタビューで、このフレーズを特に大切にしていると述べていました。
それは、お客様に対しても、社内の仲間に対しても、自分が相手を信用しなければ相手からは信用されないという考え方に基づいています。AIやIoTが進化する時代であっても、ビジネスの根底にあるのは人間であるべきだという人間中心主義を貫いていることがわかります。
この信念を体現するため、彼は社長就任後の4年間で、年間約50カ所の国内外拠点を訪問し、延べ年間150回にも及ぶ少人数のミーティングを重ねてきたことが知られています。
言語や文化の異なる5万4000人の従業員との距離感を埋め、グループ一体感を醸成するための徹底した現場主義を実行してきたことが、彼の誠実で実直な人柄を強く示唆していると推測できます。
利益は結果:本質を追求する哲学
島村氏は、経営における数字の捉え方についても独自の哲学を持っています。彼は従業員に対し、「売り上げや利益は、我々のアクションの結果でしかない」と直接語りかけ、これらはあくまで「目標」であり「目的」ではないと強調していたことがあります。
仕事の真の目的は、自分たちの仕事を通じて世の中に必要とされるもの、お客様にとって魅力的なものを作り出すことであり、売上や利益はその結果としてついてくるものだと説いています。
このような発言から、彼は短期的な利益追求に陥らず、企業の存在する意義(パーパス)という本質を常に問い直すことを重視している哲学的な経営者だと考えられます。
また、彼は100年以上の歴史を持つ企業に共通する要素として、「常に長期的な視野に立つこと」「聖域なく変革に取り組むこと」「創業精神を忘れないこと」の3点を挙げているため、変化の激しい時代においてこそ、不変的な「軸」を持つことを重視しているリアリストであると推測できます。
公私の切り替えと奉仕の精神
多忙を極めるトップリーダーでありながら、島村氏は公私の切り替えを徹底していることでも知られています。以前のインタビューで、定時を過ぎたら仕事のことを考えないようにし、週末も意識的に頭のオン・オフを切り替えるため、集中して業務を終わらせていると述べていました。
オフタイムには、ゴルフや海岸の散歩に加え、自宅近くのカトリック教会でのバザー手伝いや、目の不自由な人への説教の音声配布といった奉仕活動を、夫婦で長く続けているという事実があります。
この奉仕活動への継続的な取り組みは、「人を信じる心が人を動かす」という彼の信念が単なる経営哲学に留まらず、他者への献身や奉仕の精神という形で彼の根幹を成していることの証左であり、人の中にいること自体を喜びとする人柄がうかがえます。
まとめ|変革を成し遂げた島村琢哉氏のリーダーシップ
島村琢哉氏は、長年の化学品ビジネスの経験と、電子・ハイテク分野での新たな挑戦を経て、世界的な素材メーカーであるAGC株式会社の社長・会長として、企業を構造的に変革した稀有なリーダーです。
特に、収益下降という厳しい状況下で「両利きの経営」と「人財で勝つ」という哲学を組織の深部にまで浸透させ、硬直化した企業体質を打破した功績は非常に大きいと言えます。現在はAGCの会長としてだけでなく、株式会社荏原製作所やJFEホールディングス株式会社の社外取締役も務め、その多角的な知見と経験を日本経済全体に還元しています。
彼のリーダーシップは、「易きになじまず難きにつく」という姿勢のもと、常に進化を追求し、日本企業の未来を担う人財と組織の成長に貢献し続けています。
