技術

塚本英彦の経歴は?起業した経緯や事業内容とは

塚本英彦氏は、日本信号株式会社の社長です。日本信号の事業内容ですが、信号機や改札機の製造を行うメーカーであり国内トップを誇ります。本社は東京都千代田区丸の内にあり、大阪府に支社が、支店は全国5カ所にあります。日本信号は、イギリスで鉄道について学んだ三村周により起業されました。日本で信号機を製造しようと1898年に三村工場を設立し、これが現在の日本信号の前身となっています。また第二次世界大戦後の鉄道技術進歩とともに、新幹線向けの車上信号方式の自動列車制御装置を開発するなど新分野への進出も図るなどして大きく成長を遂げました。塚本英彦氏の経歴は1958年に愛知県で生まれ育ち、地元は自然が豊かで実家が農業を営んでいた影響で田んぼや畑仕事を良く手伝っていました。

子供の頃から機械いじりが好きで、車やバイク・無線機など身の回りにあった機械に親しみ、叔父が経営していた会社では中学時代に工事を手伝うなどしていました。幼い頃そのような環境にあった塚本英彦氏は、自宅から通うことが出来る名古屋工業大学の工学部へ入学し、トランスやモーターについて熱心に学びます。卒業後は日本信号株式会社へ入社しますが、本社が東京にあったことから上京して経験を積みたいと言う動機もあったためです。結果的に配属先は宇都宮工場の技術部になりましたが、ここでは常に先進的な新しいことにチャレンジをしており、主に旅客搭載管理システムの開発に携わっていました。世界中の空港をネットワーク化すると言う大規模かつ夢のようなシステムで、これは世界初の取り組みとなりました。

航空会社と共に開発をし、機械いじりが好きな塚本氏にとってまさにぴったりの職場でした。その後1991年に東京へ移り、営業部で初めて営業職に就きます。そして2010年に取締役になり、2016年に社長に就任しました。日本信号はまさに交通インフラの縁の下の力持ちのような存在であり、日本のみならず世界をも支えている企業であると言えます。近年では駅ホームでの転落事故を防止するホームドアの開発にも関わっており、より安全で快適なプラットホームになるようなシステムの構築に取り組んでいます。そして経済・環境・エネルギーの3つの視点を重視した経営を目指しており、事業においては環境負荷の低減に取り組む一方で、社会との共生を強く意識し、寄付などの社会貢献活動も進んで実践していくことを掲げています。

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