[たかの友梨氏_全国経営者団体連合会]
美容業界に携わっている人はもちろん、そうでない人でもいちどは名前を聞いたことがあると言っても過言ではないほどの美のカリスマ「たかの友梨」。
彼女はとても壮絶な子供時代を経験しながら、逆境に負けず常に挑戦と成長を繰り返し、エステティックの先駆者として「たかの友梨ビューティクリニック」を設立しました。その成功の原動力とは一体何なのでしょうか。
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たかの友梨の子供時代は壮絶だった
[小学校時代のたかの友梨_上毛新聞]
今までたかの友梨は答えてきたインタビューや、自伝『運が悪くってよかった!(IN通信社)』の内容などから、子供時代の「たかの友梨」の経験を追っていきたいと思います。
大人の事情で翻弄される子供(幼児)時代
たかの友梨は壮絶な子供時代を過ごしています。1948年に新潟県で生まれた彼女の実母は看護師でしたが、医師であった実父にはすでに本妻とその子供がいたといいます。つまり私生児だったというわけですね。
当時では、婚外子の存在は現代よりももっと「有り得ない」とされており、大問題になりました。実母は別の場所に嫁ぎ、たかの友梨と姉は別々の所へ養子に出されてしまいます。この養子先はお金目当てだったため、まだ幼児のたかの友梨はほとんど放置状態。
その状況を不憫に思った、子宝に恵まれなかった夫婦が3歳のたかの友梨を引き取りました。
『母』との生活も苦難の日々が続く
この夫婦のもとでたかの友梨は束の間の平穏な日々を過ごしますが、間もなくこの夫婦が夫の浮気が原因で離婚。たかの友梨は義母に引き取られます。
義母は再婚しますが、再婚者との間に生まれた子供が重度の障害を持っていたことなどもあり、なんと再婚者は多額の借金と姑と親子三人を残して失踪してしまったのです。
二度も夫に裏切られた義母は失意のどん底で死を覚悟したそうですが、「死ぬ気なら何とでもなる」と思い返し、その後は必死でたかの友梨を育てました。
たかの友梨自身も、大人の身勝手で親戚中をたらい回しにされたり、幼い弟の死を経験したことから、子供ながらに色々な想いを抱えながら日々を過ごしていたといいます。
義母の二回目の離婚後は群馬にある義母の実家で暮らし、祖母に徹底的に鍛えられる生活を送りました。「働かざる者食うべからず」が方針の祖母との生活はとても厳しいものだったそうですが、この経験からたかの友梨は働くことの大切さを学んだそうです。
自分が母の実の子供ではなく「養子」であることを知る
そうして、大変な私生活を送っていたある日、ひょんなことがきっかけで戸籍謄本を見ることになったたかの友梨は、この時はじめて自分が養子であることを知ります。
親戚をたらい回しにされていた頃はあまりにも幼かったので、ずっと一緒にいてくれた義母を本当の母だと信じていたんですね。
たかの友梨の義母は人に頼ることが嫌いな人で、母子家庭で生活に余裕がなかったにもかかわらず、生活保護や母子手当などにも頼らずにひっそりと生きる方だったそうです。
自分が養子だと知ったたかの友梨は、血のつながりもない自分を必死に育ててくれた義母に感謝の気持ちを抱いたとインタビューで語っています。
たかの友梨、16歳で理容師見習い、そして上京
壮絶な子供時代を過ごしたたかの友梨は、16歳の若さで定時制高校に通いながら働き始めます。学業と仕事の両立をしながら過ごした日々では、「人間、努力すればするだけ自分が前に進んでいく」ということを学んだそうです。
そんなたかの友梨が美容の道へ進んでゆくきっかけとなった出来事はいったい何だったのでしょうか。
義母と祖母の強い勧めで理容師へ
養父との離婚後、自分をずっと育ててきた養母の「手に職を持ちなさい」という言葉がきっかけで16歳で理容学校へ通い、17歳から働き始めたたかの友梨。
ちなみに、美容師ではなく理容師からスタートしたのも、美容師は贅沢な産業で戦争などが始まると仕事がなくなるのに比べ、「理容師」であれば男性の頭を刈る仕事があり仕事が完全になくなってしまうことがない、という理由で勧められたそうです。
なかば強引に勧められた理容師ですが、たかの友梨「どうせなるなら日本一の理容師になる」という気持ちで仕事に打ち込んだのでした。群馬県の理容コンクールでは常に上位に入賞するほどの実力があり、この頃からたかの友梨が努力家だったことが窺えます。
「美容」の道へ
20歳のころ、「日本一」という大きな夢を叶えるべく上京しました。
日本一の理容師を目指し必死に努力する一方で、理容師の世界での限界を感じたたかの友梨は、人と同じことをやってもダメだと思い直し美容師の資格を取得することに。
しかし、資格取得のために昼夜働き、それ以外の時間で勉強をするハードな日々は限界を超えていました。「ふと電車の窓に映る自分のクマやニキビで荒れた顔を見て、愕然とした」と語ります。
ニキビを治すために化粧品店に足しげく通ううちに、「ビューティーアドバイザーになれば、化粧品も使えるし、美容知識も身につくはず」とひらめき、すぐにビューティーアドバイザーへの道へ飛び込んでいくのです。
[理容師のたかの友梨(20才)_上毛新聞]
「たかの友梨ビューティークリニック」ができるまで
今やエステ業界のリーディングカンパニーである「たかの友梨ビューティークリニック」。
ビューティーアドバイザーとなったたかの友梨が、貪欲に「美」を追及し、多くの女性たちに「エステティック」を提供していくまでの道筋を辿っていきましょう。
エステティックを知るためパリへ
ビューティーアドバイザーとなったたかの友梨は、女性の持つ「美しくなることへのこだわり」に気付き、当時まだ日本には存在していなかった「エステティック」に注目します。本物のエステティックをどうしても知りたくなり、なんと会社を辞めてエステの最先端であるパリに旅立ちました。
なんと、当時のたかの友梨はあいさつ程度のフランス語しか話せなかったにもかかわらず、身振り手振りで現地の人とコミュニケーションを取り、開設したてのエステティックサロンを紹介してもらったそうです。
総合エステサロン「たかの友梨ビューティクリニック」誕生
フランスから持ち帰った美顔器は、当時はまだ日本にはなかったものでした。たかの友梨は周囲の助けもあってこの美顔器を家庭用に改良、販売したのです。この時に売り出した美顔器が、パリで学んだ「引き算の美容法」をコンセプトにした「ヴィッキー」です。
すると瞬く間に売れた美顔器。今度は「使い方がわからない」「上手に使えず効果がわからない」という声が届き、その要望に応えるために機械の説明を兼ねた施術を始めた新大久保のビルが、現在の「たかの友梨ビューティークリニック」の原点となりました。
その後、脱毛のニーズが強まった事もあり一旦渡米して脱毛の勉強をし、帰国後の1978年、青山に日本で初めての総合エステサロンをオープン。「たかの友梨ビューティクリニック」1号店です。
子供たちを支える、たかの友梨が行う社会貢献
群馬県前橋市にある「鐘の鳴る丘 少年の家」は、たかの友梨が後援会長を務めている児童養護施設です。
実は、たかの友梨がこの施設と出逢ったのは、まだ彼女が子供だった頃だそうです。ある出来事から、この施設はたかの友梨と義母の心のよりどころとなっていました。
彼女が現在後援会長として「鐘の鳴る丘 少年の家」で暮らす子供たちのサポートを行うのは、「かつて自分が支えてもらったように、今度は自分が子供たちを支えたい」という強い想いがあってのことなのだと、インタビューでも語っています。
[たかの友梨氏_全国経営者団体連合会]
まとめ
ここまで、たかの友梨の子供時代から、エステティックとの出逢い、そして「たかの友梨ビューティクリニック」の成功までを追ってきました。
たかの友梨は書籍として自伝を発表していたり、様々なインタビューへの回答、メディアへの出演を行ったりしていますが、どのような時も常にポジティブで力強く、行動力に溢れた人物であることがわかります。
努力家ということは、自分にとても厳しい生き方をしてきたのかと思われますが、「誰かのために生きることや、働くことが大切」というような言葉も残しているとおり現在は児童養護施設の子供たちのために様々な取り組みを行っています。
彼女の強くしなやかな生き方に憧れている人も多いのではないでしょうか。
テレビで見ていたたかの友梨に憧れてエステ業界に入った者です。
たかの友梨の子供時代が大変だったことは知っていましたが、ここまで壮絶だったとは知りませんでした。
でも、そんな時代を乗り越えて今エステ業界のトップにまで上り詰めたんですよね。本当にすごいです!私にとってずっと憧れの人です。
今までエステに全く興味がなかった私ですが、先日子供たちからたかの友梨のエステチケットを貰ったので人生初のエステを体験してきました。
サービスの内容が豊富でとても良い体験が出来たので、そこからたかの友梨を調べてみてこのサイトに辿り着きました。
たかの友梨さん、たいへんなご苦労をされた方だったんですね。
この前テレビでたかの友梨先生出ててお財布公開されてたんだけど、ピンクのクロコバーキンのバッグから出てきたお財布からさらにセンチュリオン出てきてほんと期待を裏切らなかったw
何目線?ってかんじだけど子供の頃からの苦労と努力が報われてほんとーによかった!
たかの友梨さんは子供のころの体験を糧に、今こうやって素晴らしい活動を行っているんですね~!
ボランティアってやりたいと思っても、意外と実行できなかったりします。
なので、こうやって実行している方を見ると本当に尊敬できるなぁと感じます。
素晴らしい考え方に共感できたっていうのもあり、エステサロンにも興味が出てきました。お金を貯めていつか通えたらいいなぁと思っています。
たかの友梨さんの壮絶な子供時代に驚くと同時に悲しくなりました。
テレビなどで拝見する時はいつも笑顔でキラキラしている印象だったのですが、こんな過去があったのですね。
自殺を考えたこともあるとのことですが、それでも立ち上がり成功を掴むまでには、想像もつかないくらいの努力をしていたのでしょうね。
辛い過去があることを微塵も感じさせず、いつも笑顔で活躍しているたかの友梨さん、とっても素敵です。
たかの友梨さんの自伝を読みました。
美容業界でトップに上り詰めたような人だから恵まれた環境なんだろうなと思ってたけど、実際には正反対の人生で特に子供のころに大きな苦労をしていたことが分かりました。
たかの友梨さん、勝手に裕福な家育ちだと思ってた。
子供時代の話は結構壮絶…。
努力、そして諦めない心に不運にもめげない強い心を持ちながら生活していきたいです。
たかの友梨ってとてもゴージャスで品がある印象だったから、お嬢様なのかと思ってたけど…子供時代にびっくり!
「言霊」ってホントにあるんだ!!
願望を言葉に出すと実現しやすいって言われているけど、それを体現しているなぁと感じるなぁ。
私も見本にして、夢を口に出すようにしてみよっかな。