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岡野保次郎の経歴は?起業した経緯や事業内容とは

eyecatcheimage_岡野保次郎の過去の経歴は?起業した経緯や事業内容とは

実業家・起業家である岡野保次郎は、GIグループの創業者で代表を務めている人物です。今までの経歴を見てみると、これまでにも様々な事業を創業してきました。ここでは岡野保次郎が起業した経緯や事業内容についてまとめてみたので、ご紹介しましょう。

岡野保次郎の主な経歴について

まずは簡単に岡野保次郎の経歴をご紹介しましょう。1951年に京都で誕生し、1976年に東京の上智大学の法学部を卒業しますが、同時に経済学部へ学士入学を果たします。そして、1978年に経済学部を卒業し、現在の三井住友建設である住友建設に入社しました。

1981年に大学卒業時から努めていた三井住友建設を退社し、同年に京都市内で人材派遣業を行う「株式会社スタッフサービス」を創業しました。当時の年齢は31歳と若く、その上にたった1人で創業し、後に業界最大手の企業となります。2007年にスタッフサービスホールディングスの代表を辞任し、2008年にGIグループを創業して現在に至ります。

「オー人事」の岡野保次郎が創業したスタッフサービスについて

株式会社スタッフサービスが京都で創業されましたが、現在は株式会社スタッフホールディングスという名で東京に本社を持ちます。フリーダイヤルの番号をもじり、「オー人事、オー人事」というキャッチフレーズのテレビCMで一躍有名になりました。人材派遣業界では後発の会社であるものの、現在は業界最大手の企業に成長を果たしました。

多数のグループ会社を傘下に持ち、各業種の事務職をはじめ、技術者やIT分野、介護・看護・医療、製造分野で人材派遣や紹介、業務請負といった事業を全国に向けて展開しています。2007年に岡野保次郎と躍進数名が退任し、現在はリクルートホールディングスの連結子会社として運営を続けています。

岡野保次郎の人材派遣事業での歩み

岡野保次郎はGIグループを創業するまで、スタッフサービスの成長に貢献し続けました。業界トップクラスに上り詰めるまでの歩みをご紹介しましょう。

創業からバブル崩壊までの歩み

スタッフサービスの創業当時、派遣は事務処理サービスと呼ばれていました。派遣法が成立する前だったため、法的な細かい制度がない状態でしたが、岡野保次郎は人材派遣業で起業家デビューを果たします。1986年に派遣法が出来ると業界の競争環境が大きく変わり、大手企業までも参入を表明してきました。

まだ弱小企業で岡野保次郎も撤退を検討していましたが、大手企業が撤退したのでスタッフサービスは存続します。京阪神では売上2位の位置まで登り詰め、関西で足場を固めてから1989年に東京へ進出しました。進出当初は経営も好調でしたが、バブルの崩壊により規模を縮小せざるを得ず、勢いは低迷してしまいます。

バブル崩壊後の営業プロセスの変革

バブル崩壊後、岡野保次郎は癖のある人材を一気に採用し、個人の能力に頼る営業で売上を伸ばしていきました。そこから業務を根本的に見直し、社員がやるべき仕事を分けるために営業をシステム・マニュアル化していき、大手企業との差別化を図ります。

彼はマーケットを分析し、派遣契約は欠員や増員があったタイミングに、偶然受注していると人材派遣の法則に気付きます。派遣は必要な時以外に需要は生まれることはないので、企業のニーズが発生するタイミングを見逃さないことが大事という結果を出します。

どんなに質の良い人材を低価格で提供できても、人員ニーズがなければ発注されません。営業担当者は1日に20~40社を定点観測する営業スタイルに変更し、需要を見つけると需要がなくなる前に派遣スタッフを2時間以内に紹介するプロセスを完成させました。

業務のスピード化と情報システムの導入

クライアントと求職者をつなげる上で重要なコーディネート業務では、2時間以内に人選するためのスピード化が求められ、営業プロセスの見直しと共にコーディネート業務のやり方も変えていきます。コーディネーターは登録派遣スタッフに電話勤奨を行い、人選を行っていました。2時間以内に決めるというノルマがあるので、オーダーの時間管理を効率化させる必要がありました。

そこで活用したのが、30分刻みの時間で枠を区切ったホワイトボードです。紹介依頼が来たら紙に案件内容を記載し、まずは「残り2時間」の位置に紙を貼り付けます。そして、監督者が30分おきに「残り1時間半」、「残り1時間」と紙の位置をずらし、急いで人選が必要な案件を把握しやすいようにしました。コーディネーターはそれを確認しながら派遣スタッフの電話勤奨を行い、2時間以内に人選いうノルマを達成していました。

しかし、会社の規模が大きくなるにつれて依頼が増え、ホワイトボードを使って2時間以内に人選することが困難になり、もっと早くスタッフを派遣して欲しい要望もあって情報システムを導入します。情報システムに導入したことで依頼から2時間以内に人選が可能となり、他にも訪問履歴など正確で鮮明な情報管理ができるようになりました。

業界最大手に

1997年5月から首都圏で知名度を上げるためにCMを出します。その結果、サービスを知らない人にもアピールすることに成功しました。そして、2001年12月には全て直営で全国展開を完了させ、全国での知名度や実績を上げていきます。クライアントに質の良い人材を提供できるように、まずは派遣スタッフの顧客満足度を向上させる取り組みにも力を入れました。その結果、クライアントと派遣スタッフの双方が満足するサービスへと発展しました。

まとめ

岡野保次郎が創業した人材派遣業では行き詰まりや課題もありましたが、そのたびに見直して改善に努め、業界最大手に至るまでの成長に貢献してきました。今は不動産やレジャー・飲食事業、法人営業などをメインとしていますが、人材派遣で創業した経験が今の事業にも活かされているのではないでしょうか。

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