斎藤博明氏は国家試験合格を目指す予備校として存在しているTAC株式会社を創設し、代表取締役社長兼取締役会議長を務めていた人物です。
本記事では、教育の本質に迫る予備校運営を通して、国家資格取得を目指す多くの人々の支援に尽力した斎藤博明の人物像や起業のきっかけなどに迫ります。
斎藤博明のプロフィールや生い立ちを紹介
まずは、斎藤博明氏のプロフィールを詳しく見ていきましょう。
名前 | 斎藤博明(さいとう ひろあき) |
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生年月日 | 1951年3月8日 |
没年月日 | 2020年8月31日 |
出身 | 宮城県仙台市 |
学歴 | 東北大学経済学部経済学科卒 |
職業 | 実業家、会計士補、TAC株式会社創業者 |
趣味 | マラソン |
斎藤博明氏は、1951年に宮城県仙台市に生まれました。宮城県仙台第二高等学校を卒業後、東北大学へ入学し経済学部経済学科を卒業しています。
1978年9月公認会計士試験第2次試験に合格し、株式会社東京アカウンティングセンターに入社しています。この段階で公認会計士資格に合格した経歴をいかし、公認会計士講座財務諸表論講師に就任。積極的に未来の国家資格取得者たちの道しるべとなっていきました。
その後さらなる飛躍を目指すべく1980年12月、東京アカウンティング学院株式会社(現在のTAC株式会社)を起業し、代表取締役社長に就任しています。2003年から2007年までは経済同友会副代表幹事としても活躍していました。2020年に亡くなるまでには著書も多く残しています。
インドを放浪した経験が起業の鍵になった
難しい資格を取得しただけではなく、次世代の資格希望者のための予備校を設立するといった輝かしい経歴の持ち主である斎藤博明氏ですが、大学生の頃には「人は何のために生きるのか」という問いを持ち、その答えを探すために1人でインドを放浪したという過去もあります。
現地の空港で物乞いの子供達に囲まれて立往生したり、移動先であるバングラディッシュの空港で突然現地の見知らぬ青年から金を出せと脅された経験も持ち合わせています。
インドやバングラディッシュに訪れ、生まれながらにして職業が決定されている人(カースト制度)を間近に見た衝撃によって、斎藤氏は「自分で職業を選択できる自由があるという素晴らしさ」に気づきます。
帰国後、一流企業に内定が決まった斎藤氏ですが、「自分の運命の主導権は自分が握るべき」という考え方から、就職する決まりきった人生には目もくれず人生を自分の手で切り開く自立した人生を夢見るようになりました。
TAC株式会社の起業と斎藤博明氏の戦い
企業への就職をやめた斎藤氏は、ビジネスをしようと考えます。しかしそこで問題が続いたため、まずは自分のレベルを上げるためにと目指したのが公認会計士だったそうです。
当時の会計士の市場では、会計士の試験合格者が指導を行う機関が力を持っており、斎藤氏もそこに目を付けます。勉強したい大学生をターゲットにしたアピールが実を結び、「ダブルスクール」は社会現象にまでなりました。
TACが大切にしていること
TACは「プロフェッションの養成を通して社会に貢献」という言葉を企業理念としています。昔から高い知識と厳しい倫理観が求められている「専門家」ですが、それだけではなく、現代の考え方や需要も踏まえられる新しいプロフェッションを育てることができる「プロフェッション創造企業」でありたいと考えているそうです。
斎藤博明の考え方はこの様に自分が体感した海外の経験や、それに対しての自分の想いを確認する事で自分の人生を自ら切り開き国家資格取得を目指す方達の道しるべになる事を決めた行動力のある方なので、国家試験に興味ある方はぜひTACの予備校を選択肢のひとつとして考えてみて下さい。
まとめ
斎藤博明氏は、大学時代のインド放浪経験から人生の自由と自己決定の重要性を学び、公認会計士資格取得後にTAC株式会社を創業した実業家です。
教育の本質に迫る予備校運営を通じ、国家資格取得を目指す人々の支援に尽力しました。「ダブルスクール」現象を生み出すなど、教育界に大きな影響を与えました。
斎藤氏の行動力と先見性は多くの人々に自己実現の機会を提供し、教育ビジネスの革新をもたらしました。彼の思想と実践は、今日も多くの勉強したい学生たちを支えています。