三津原博は薬剤師を志して薬科大学薬学部に入学し、卒業後は医薬品メーカーに就職しました。その後、経験を積んだ上で起業し、新しい会社を立ち上げて代表取締役社長に就任します。薬の専門知識やスキルを身につけた薬剤師資格を持っているからこそ、スムーズに保険調剤薬局チェーンを広げることが可能となったのです。この会社は、業界の中で唯一全都道府県に店舗を持つ点が最大の魅力となっています。どんな田舎に住んでいる人でも安心して病気や怪我を治せるよう徹底したサポート体制をとっています。そのため、子供からお年寄りまで幅広い年代の人々からも親しまれている存在といえます。
三津原博の経歴の中で注目すべきポイントとして、一度は大学の経済学部に入学してから中退し薬学部に入り直しています。とにかく手に職をつけないと生き残れないという考えが強かったことが、薬剤師となるきっかけになったのです。最初に就職したメーカーでは、医薬情報を担当するMRとしてさまざまな病院やクリニックを訪問しました。その際に薬害の被害者たちに対する病院側、製薬会社の対応に強い怒りを覚えたのです。薬剤師が医師と対等に渡り合って処方を確認できることができれば、被害が大きく減ることになると考えました。そこで、医薬分業を実現することが三津原博の夢となりました。その後、彼は起業して自分の夢を叶えるために歩み始めます。
起業した当時は銀行からもお金を借りることができずに大変な苦労をしました。その中で、あまり薬を使わない耳鼻科や眼科、小児科などを回って地道に分業の提案をしていったのです。彼の意見に賛同してくれる医療機関も徐々に増えていき、三津原博の思い描く事業内容がついに認められ困難を乗り越えたのです。そして開業してから7年後には都心に支店を設けます。医薬分業という新しい試みを日本の津々浦々にまで広げていくことこそが、大きな目的となっているからです。2005年にはジェネリックの製薬会社も立ち上げ、時代に合わせて先を見据えた革新的な動きで多くの患者からも厚い信頼を寄せられています。医薬品の料金を安くすることによって、病気の患者を経済的にもバックアップしていきたいという強い願いも込められているのです。
このように、三津原博は常に大きな困難や危機を乗り越えながら自らの力と発想力を駆使して国内でもトップクラスとなる調剤薬局を展開してきました。今後もその活躍が期待されているリーダーといえます。