日立製作所の第十一代社長である東原敏明氏は、歴代社長のほとんどが東京大学出身者である中で徳島大学出身という日立の歴史を変えた方です。日立製作所といえば東証1部上場の今や誰もが知る総合電機メーカーで、その事業内容は広く建設機械から通信機器や医療機器、鉄道車両製造まで手掛けるまさに総合の名にふさわしい企業です。日立の社名は起業時の所在地に由来しており、茨城県日立市にあった久原鉱山の修理工場に始まります。日立製作所として独立したのは1920年。その頃には電気製の機関車を製造していますし、10年後にはエレベーターや電気冷蔵庫の製造を始めています。こうした総合電機メーカーである日立製作所の社長である東原敏明氏の経歴を見てみましょう。
1955年徳島県小松島市出身で徳島大学工学部卒業後、1977年日立製作所に入社。その後1990年にボストン大学大学院コンピュータサイエンス学科を修了しています。交通システム設計部長を勤めたほか、電力システム設計部長、事業部長を経て2006年情報通信グループのCOOに就任しています。社会のあらゆる面で活躍する総合電機メーカーの様々な部門を経験し、2010年に日立製作所の先端技術を担う日立プラントテクノロジーの代表執行役に就任しています。日立プラントテクノロジーはその後日立製作所と合併し完全子会社になっていますが、店頭に並ぶ食品のプロセスが閲覧できるトレーサビリティシステムや下水処理システム開発など時代のニーズに応えてきた会社でした。執行役員としての経験を経て2014年東原敏明氏は日立製作所の社長に就任しました。
世界経済衰退の煽りを受けていた日立製作所は不採算部門の売却などによって経営状況を立て直した頃でした。若返りを図るために現場に強みをもつ東原氏に白羽の矢が立ったのです。前社長中西氏から学んだ言葉を東原氏は語っています。自分の考えを明確に語らなければなりません。意思決定のスピードを速くするには自分の考えを明確にしておくことですと。東原氏はよくスピードについて語っています。現代はアジアのみならず欧米企業とのグローバルな関係によってスピードはまさにキーワードといえます。地方大学出身ながら1部上場企業の社長に就任するというある種の壁を乗り越えた東原敏明氏。日立製作所の技術革新という新たな夢の実現そしてめまぐるしく変化するグローバル社会のニーズに応え続けていくことでしょう。