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平野信行氏の経歴と功績|三菱UFJをグローバルへと導いたリーダーシップの軌跡

平野信行氏の経歴と功績|三菱UFJをグローバルへと導いたリーダーシップの軌跡

日本最大の金融グループである三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)において、長年にわたり舵取りを担ってきた平野信行氏は、日本の金融界を代表する国際派リーダーとして知られています。

激動の金融再編期から、デジタル技術が台頭する現代に至るまで、彼が示した経営手腕と先見性は、今日のメガバンクの在り方に多大な影響を与えました。現在は第一線を退きつつも、特別顧問や三菱総合研究所の取締役、さらには教育や国際交流を支援する数多くの財団の要職を務めており、日本経済の発展と次世代育成に寄与し続けています。

本記事では、平野氏の生い立ちから銀行員としてのキャリア、そして社長時代に成し遂げた数々の功績と、その根底にある経営哲学について詳しく解説します。

平野信行氏のプロフィール:岐阜から京都、そして金融の道へ

まずは、平野信行氏の詳細なプロフィールを詳しく見ていきましょう。

平野信行-みらい×育成対談02 | 一般財団法人 三菱みらい育成財団平野信行-みらい×育成対談02 | 一般財団法人 三菱みらい育成財団
名前 平野 信行(ひらの のぶゆき)
生年月日 1951年10月23日
出身 岐阜県各務原市
学歴 京都大学法学部
職業 株式会社三菱UFJ銀行特別顧問
公益財団法人経団連国際教育交流財団理事
公益財団法人永守財団理事
公益財団法人東急財団評議員
公益財団法人柳井正財団評議員
公益財団法人国際金融情報センター評議員

平野信行氏の歩みは、岐阜の豊かな環境と公への奉仕を重んじる家庭、そして最高学府での研鑽から始まりました。その背景を知ることは、彼が後にメガバンクのトップとして示した卓越した決断力の源泉を理解することに繋がります。

幼少期から学生時代:エリートの系譜

平野信行氏は1951年10月23日、岐阜県に生まれました。

父は岐阜県各務原市の市長を長きにわたって務めた平野喜八郎氏であり、幼少期からリーダーシップや公共への貢献という概念が身近にある環境で育ちました。

地元の名門である東海中学校・高等学校を経て、京都大学法学部に進学し、1974年3月に同大学を卒業します。この多感な時期に培われた論理的思考と広い視野が、後の銀行員人生における強固な基盤となりました。

三菱銀行への入行と初期のキャリア

大学卒業直後の1974年4月、平野氏は当時の三菱銀行へ入行しました。入行当初は東京の大手町支店に配属され、銀行実務の基礎を徹底的に叩き込まれました。

しかし、彼の才能が真に開花し始めたのは、その後、国際部門へと足を踏み入れ、日本の枠を超えた広大な金融市場と向き合い始めた時期からでした。

華麗なる経歴:メガバンクのトップから多角的な社会活動へ

平野氏の経歴は、単なる一銀行員の昇進の記録ではありません。

それは、日本最大の金融機関がグローバルな競争力を獲得していく過程そのものであり、同時に彼の知見が金融以外の広範な産業界や公共セクターへと波及していくプロセスでもありました。

国際派銀行員からメガバンクのトップへ

入行後の平野氏は、1980年代の米モルガン・スタンレーでの研修や欧州三菱銀行への出向を通じて、国際的な金融感覚を鋭く磨き上げました。

1996年にはニューヨーク支店の副支店長、2000年には米州本部米州企画室長を歴任し、2004年には執行役員総合企画室長としてグループの戦略中枢を担うようになります。

その後、常務、専務、副頭取と着実に昇進を続け、2012年4月に三菱東京UFJ銀行の代表取締役頭取、2013年4月にMUFGの代表取締役社長、2015年6月には代表執行役社長兼グループCEOに就任しました。

産業界のガバナンスと公的役職への参画

平野氏の手腕はグループ外からも高く評価され、2018年から2021年までの3年間はトヨタ自動車株式会社の社外監査役を務め、製造業のガバナンス向上にも寄与しました。

2021年4月に三菱UFJ銀行の特別顧問に退いた後は、2021年12月から株式会社三菱総合研究所の取締役に就任し、2025年12月現在も現任として同社の経営を支えています。

さらに、2025年時点では、永守財団や経団連国際教育交流財団の理事、東急財団や柳井正財団の評議員など、日本を代表する企業のトップが関わる多彩な社会貢献団体の要職を兼務しています。

モルガン・スタンレーとの戦略的提携:金融危機を救った平野信行氏の英断

平野氏のキャリアにおいて最も象徴的かつ歴史的な功績は、2008年のリーマン・ショック時に断行された米モルガン・スタンレーへの巨額出資と戦略的提携の成立です。

未曾有の金融危機という極限の状態において、彼が下した決断は世界の金融システムの崩壊を食い止める決定打となりました。

「落ちてくるナイフの柄」を掴んだ平野氏の覚悟

2008年9月、金融危機の津波が名門モルガン・スタンレーを襲い、市場では同社の破綻が秒読みであるとの噂が駆け巡りました。

米政府による金融安定化法案の否決を受けて株価が暴落し、出資した瞬間に巨額の含み損を抱えることが確実視される中で、米メディアはこれを「落ちてくるナイフを掴むような行為」と揶揄しました。

しかし、実務責任者であった専務の平野氏は「落ちてくるナイフの柄を掴んでみせる。どうすれば出資できるかを探れ」と行内に号令をかけました。出資を見送れば世界の金融市場が瓦解しかねないという大局観のもと、撤退を叫ぶ声を退けて交渉を継続したのです。

祝日に渡された「90億ドルの小切手」という伝説的舞台裏

平野氏らの粘り強い交渉と米政府からの事実上の保証を取り付け、2008年10月13日に90億ドルの出資がついに実行されました。

この日は米国が銀行休業日の祝日という異例の状況でしたが、三菱UFJの駐米幹部が法律顧問事務所を訪れ、額面90億ドルという天文学的な数字が記された物理的な小切手を直接手渡しました。

この「90億ドルの小切手」のエピソードは、日本の金融機関が世界を救った瞬間として、今や国際金融史に残る伝説となっています。

長期戦略に基づいた「自前主義」からの脱却

この歴史的な出資は、決して危機に直面しての場当たり的な判断ではありませんでした。平野氏は後に、リーマン・ショックの3年近く前から極秘のプロジェクトチームを立ち上げ、グローバルな投資銀行業務にいかに対応すべきかを模索し続けていたことを明かしています。

自前主義にこだわらず、海外の有力な投資銀行との戦略的提携を模索するという周到な準備と戦略的構想があったからこそ、あの極限の状態での決断が可能となったのです。

社会的価値の創造:メガバンクの枠を超えた多角的な実績

平野氏の実績は、特定の企業救済に留まるものではありません。

日本最大の金融グループのトップとして、国内市場の成熟に対応する新たなビジネスモデルの構築や、未来の日本を担う人材育成にもその情熱を注ぎ込んできました。

海外事業の拡大と一体運営・DXの推進

頭取および社長就任後の平野氏は、国内市場の成熟を見据えてアジアを中心とした海外展開を加速させました。タイのアユタヤ銀行を子会社化するなど、アジア地域での事業基盤を盤石なものにすると同時に、銀行、信託、証券が緊密に連携する「一体運営」を強力に推進しました。

さらに、金融とテクノロジーを融合させたDX(デジタルトランスフォーメーション)にもいち早く着手し、FinTech企業との協業や行内システムの抜本的な刷新を主導したことも、彼の先見の明を示す重要な実績です。

三菱みらい育成財団の設立と次世代への貢献

平野氏の功績はビジネスだけではなく、次世代を担う人材の育成にも向けられています。

その結実が、2019年に設立された「一般財団法人三菱みらい育成財団」です。平野氏は三菱グループ創業150周年の節目に、日本の若者たちが自ら問いを立て、解決する「探究心」を育む場の必要性を強く訴え、同財団の設立を主導して初代の理事長に就任しました。

2023年6月30日に任期満了により退任するまで、日本の将来を担う創造的な人材を育成するための強固な支援体制を構築しました。

令和臨調への参画と国家課題への提言


平野氏は、2022年6月に発足した「令和国民会議(通称:令和臨調)」に設立メンバーとして参画し、国家の構造的な課題解決にも取り組んでいます。2025年現在、彼は同会議の「財政・社会保障」部会において共同座長という重責を担っています。

日本社会と民主主義の持続可能性を追求するこの活動において、平野氏は持続的な社会発展のための財政規律の重要性を説き、「ガバメント・データ・ハブ」の構築や子育て世帯の勤労を支援する給付制度の導入など、将来世代にツケを回さないための具体的な改革案を提言しています。

金融のプロフェッショナルとしての知見を、日本の社会基盤を再構築するための国家戦略へと昇華させているのです。

平野信行氏の考え方や哲学:ダイバーシティが組織に生むダイナミズム

平野氏が数々の難局を乗り越え、巨大組織を率いることができた背景には、一貫した哲学がありました。それは、固定観念を打破し、異なる価値観を取り込むことでしか真の成長は得られないという強い確信です。

ダイバーシティが組織に生むダイナミズム

平野氏の経営哲学の根幹にあるのは、ニューヨーク駐在時代にモルガン・スタンレーでの研修等を通じて肌で感じた「ダイバーシティ(多様性)」への深い理解です。

人種、年齢、性別、そしてバックグラウンドに関わらず、多才な人々が切磋琢磨する環境こそがイノベーションを生むと彼は確信しています。

日本の多くの金融機関がリスクに過敏になり、同質的な集団に留まりがちな中で、あえて異なる背景を持つ人々を統合し、組織を活性化させる平野氏の手法は、金融業界におけるダイバーシティ経営の先駆けとなりました。

金融機関に求められる斬新さとリーダーの責任

平野氏は、金融業を営む組織は常に時代の流れを敏感に汲み取らなければならないと考えています。

リスクを回避することだけが目的化するのを戒め、時代のニーズに合った金融サービスを提案し続けるためには、組織全体に「斬新さ」が必要であると説いてきました。

マクロな世界情勢からミクロな地域経済までを俯瞰する彼の視点は、常にリーディングカンパニーとしての社会的責任に根ざしており、その信念はトップを退いた後の現在も、各種財団や研究所での活動を通じて次世代へと引き継がれています。

まとめ|次世代へ繋ぐグローバルリーダーの意志

平野信行氏は、三菱UFJフィナンシャル・グループを世界基準の組織へと脱皮させた変革者であり、同時に社会の持続的な成長を願う真のリーダーです。

モルガン・スタンレーとの歴史的提携を実現させた決断力や、三菱みらい育成財団を通じて次世代に投資した先見性は、今日のビジネス界において極めて高い権威性と価値を持っています。

2025年現在、三菱UFJ銀行特別顧問や三菱総合研究所取締役、さらには教育や国際交流を支える各財団の役員として活動する彼の姿勢は、組織のトップを退いた後も、自らの知見を広く社会へ還元し続けることの重要性を示しています。彼が築き上げたグローバルな基盤と、多様性を尊ぶ哲学は、これからも日本の金融界と産業界が未来へと進化を続けるための不変の指針であり続けるはずです。

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